公共の施設とインターナショナルスクールについて

インターナショナルスクールの本来の目的を探ってみると興味深い事実がわかってくることなのでしょう。学校は子供たちにとってみれば、非常に重要な空間であると言えるでしょう。思わぬトラブルに巻き込まれないようにしたいものです。インターナショナルスクールの魅力を導き出して見ましょう。親の意向だけで判断するのは危険です。
通信制高校には、普通の定時制の高校とは違ったメリットが多々あります。通信制の高校は毎回授業に出るのではなく、レポートなどを提出し、そして授業に出席する際にも自分のペースで授業を作ることができるため、時間を自由に使うことができるのです。そのため、通信制高校は普通の学生以外にも、一度高校を辞めた人や社会人の人でも通うことが可能なのです。
 第91回全国高校ラグビーフットボール大会(毎日新聞社など主催)県予選準々決勝が6日、由布市の湯布院スポーツセンターであった。第1、2シードの大分舞鶴と大分雄城台が実力を発揮し、順当に4強入りを決めた。
 大分舞鶴は個の力で中央を切り裂き、序盤からトライを重ねて大分上野丘を圧倒。第4シードの大分東明は後半に追い付いて森と引き分け、辛くも抽選でコマを進めた。文理大付は5月の県高校総体で敗れた大分工に雪辱。大分雄城台は前半に52点を奪い高田を寄せ付けなかった。
 準決勝は13日、大分市横尾のスポパーク21で午後1時に大分舞鶴−大分東明、2時20分に文理大付−大分雄城台が戦う。【深津誠】
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 ▽準々決勝
大分舞鶴  93−7  大分上野丘
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大分東明  31−31 森
 (抽選勝ち)
文理大付  24−7  大分工
大分雄城台 76−7  高田

11月7日朝刊

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 サンタクロース、イノシシ、パソコンを習う人、料理をする人……。5日、大分市口戸の市道沿いにある稲刈り後の田んぼに突如、約100体のかかしが現れた。道行く人が足を止めて見やり、思わず頬を緩めていた。
 地域の活性化と住民同士の絆を生むきっかけを作ろうと、稙田校区公民館が「かかしまつり」を初めて開催。地元自治会や公民館利用者などの23団体が作った。テーマは自由。応募した年齢層は幅広く、季節感あふれるものから日ごろの活動を表現したものまでさまざまなかかしが、刈ったばかりの田んぼを彩っている。
 祭り実行委が審査し、27日に表彰する。副賞として地元産の米や野菜が贈られる。展示は12月4日まで。【田中理知】

11月7日朝刊

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 五木村の子守唄祭に行ってきた。魂を揺さぶる深遠な正調五木の子守唄。この歌はいつ、どうして生まれたのか。それを探る民俗学者、赤坂憲雄著「子守り唄の誕生」(講談社学術文庫)は推理小説のように面白い。
 五木は古来、支配層の地主(ダンナ)の下に多くの小作(ナゴ)が隷属してきた。貧しいナゴの娘たちは、ダンナの家や人吉の裕福な家へ子守奉公に出された。赤子を終日背負い、子守の辛苦と悲哀を歌ったのがこの唄だ、とされてきた。
 ところが赤坂氏は「子守唄の主な作り手は地元の娘ではない。少なくとも一部はよそ者だった」と説く。1930年に初めて採集された子守唄には約70の歌詞が伝わる。うち子守娘の父の境遇を示す歌詞は四つある。同氏はそこに注目する。
 「おどんがお父っぁんな、あん山おらす おらすと思えば行こごたる」。つまり娘の父親は山で働いている。「おどんがお父っぁんな山から山へ里の祭りにゃ縁がない」「おどんがお父っぁんな山から山へ宮座(みやざ)宮座にゃ縁がない」。宮座とは神社の祭祀(さいし)団体のこと。いくら貧しいナゴでも村祭りには参加できる。つまり娘の父親はよそ者なのだ。全国の山から山を流れ歩く「渡り山師(やまし)」(林業従事者)であるならすべての符号が合う。
 山師たちは、木を伐採して川へ降ろし、いかだに組んで街まで流す。「おどんがお父っぁんな川流しのせん頭(どう)さぞや寒かろ川風に」の歌詞から、赤坂氏は子守娘の父たちを、川で丸太を運ぶ作業を得意とした紀州(和歌山)の渡り山師の集団だったと推定する。紀州にも五木と同じ子守唄の歌詞が多く残るのだ。彼らが山林開発で初めて五木に来たのは1892年ごろ。山師の娘たちも子守唄とともに流れ着いた。
 ともあれ現代の娘たちに、この悲しい歌は必要ない。苦しい労働から解放される素晴らしい時代になったからである。<熊本支局長・大島透>

11月7日朝刊

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